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はじめに.

1940年代の終り頃, Shannon という人によって, 数理的な学問として確立された情報理論は, 現代の情報通信社会においてますます重要になってきている. 情報通信において大切なことは次の2つである.

1.
情報を誤りなく伝える. 大事なデータを転送中のノイズで傷つけられないこと.
2.
情報を悪の手から守る. 他人に情報を盗まれないこと, 改ざんされないこと.
これを標語的に言うならば, 『安全でかつ確実に』ということが求められているわけだが, 情報理論はここでいう「安全かつ確実」な情報通信を最終的には実現することが目標であるから, さらに大前提として, これらの理論は「実用的」である(通信コストはできるだけ安く, 通信速度はできるだけ速い方がよい)ことが求められている. 理論上は「安全かつ確実」なものができたとしても, 現実にはあり得ないような巨大な記憶装置を想定していたり, チョコッと通信するのに何時間もかかったりするようなネットワークではどうしようもないのである. 本稿でも後で出てくるが, 情報理論において良い理論の条件として現れるもののうちには, この「実用性」から来ているものもあるということをここで注意しておこう [*].

さて, 話を元に戻すと, この2つの大切なことを実現するために日夜研究されているのが, 符号理論[*]暗号理論と呼ばれるものである. もう少し具体的に言うと, 符号理論は, 1つ目の問題である, 誤伝達を防ぐための理論であり, 暗号理論は, 2つ目の問題である, 盗聴や情報の改ざんを防ぐための理論 ということになる.

後者は厄介だ. インターネット時代の現代, 「確かに私は『私』である」という認証の問題とも 絡んで, その重要性は増すばかりだが [*], 依然暗中模索の状態であり, シーザーの時代(起源はもっと古いだろうが)から現代までの長い歴史を持ちながらも, 常に場当たり的である.

一方の符号理論はあくまでも, 情報経路や送受信機での物理的なエラーなどに対応する ためのもので, 悪知恵の働く人間相手の暗号理論ほどややこしいことを考える 必要はない. そういったことからも符号理論は結構整備された理論である. そんな事情からか, こんなことをいう人もいる.

符号理論は10年以内に完成し, その後何もすることがなくなるだろう.
暗号理論はいつまでも研究することがあるが, いつまで経っても理論的な完成は望めないだろう.
もちろん, このような皮肉な見方があるからといって, 両理論の重要性は少しも損なわれることはない. 完成して研究することがなくなったとしても, 符号理論は情報科の学生の必修の基礎科目として数学における線形代数や微積のようなとまではいかなくても, 微分方程式論くらいの位置を占めるようになるだろうし, 万年発展途上の暗号理論は情報社会の安全を守るべく常に進歩しなくてはならない.

さて, 上に述べたような情報理論が如何なるところで代数幾何学と繋がりをもつのだろうか? 実は, 符号理論, 暗号理論において, 代数幾何学が深く関わるようになったのは, 1980年代 [*] に入ってからである.

1980年代, 符号理論は新しい局面を迎えた. Goppa が代数曲線の線形系を利用した代数幾何符号を導入したのである. この代数幾何符号は, すべての線形符号が代数幾何符号で書き表されるという事実もあり, 主に理論面で強力な力を発揮する。

暗号理論の方も1980年代に重要な転換期を迎えた. その発端となったのが公開鍵暗号方式の提唱であり, その実現形の一つとして楕円曲線を使った暗号が登場したことで俄然, 代数幾何学や数論との関係がクローズアップされたのである.

もちろんこれ以前から, 符号理論では簡単な線形代数が, 暗号理論では初等整数論が応用されていたのだが, 代数曲線の線形系だとか楕円曲線の群構造といった「現代数学」が応用されたのが結構衝撃的だったのである.)

本稿では, 主に符号理論, 中でもとくに誤り訂正符号と呼ばれるものの理論をを題材に, 情報理論における問題が具体的にどのようなもので, どのような数学の問題に翻訳されるか, そしてそれをどうやって数学が解き明かすかを解説してみたい. これを読んで, 「代数幾何学って抽象的で難しいだけの無用の長物と思っていたけど, 多少は世の中の役に立っているんだなぁ」と実感していただければ幸いである.



Mitsuru Kawazoe
2001-11-14